おはようございます。
ナレーター、ドールハウス制作などをしているマリナです。
今日の記事はナレーターになるまでの長〜い道のりの実体験です。
私はもともと不器用で
何をやっても人よりも上達に時間がかかる人なんです。
ナレーターもしかり。
◾️はじまりは幼少時代◾️
小さい頃からTVのアナウンサーや、電話104から聞こえる女性の声の真似をして
遊んだりしていました。
興味があったのですね。
◾️大学生◾️
猛勉強の末
関西の大学に進み大学の合唱部に入りました。
(なぜ勉強したくなったか大学進学にまつわる話は、過去のブログ記事
▶️実態のない恋愛の噂に翻弄された11歳◀️
に書いています。)
部活で時々、ランチタイムに講堂の前で歌ったりしてました。
いわゆるゲリラライブ^ ^
そんな時に、声をかけて下さった大人がいました。
『合唱部で、関東出身の女の子いない?
アナウンスの仕事あるんだけど。』
合唱部、なまりのない地域出身、
アナウンス!!!
これです。待ってました!2つ返事で立候補しました。
◾️電話◾️
当時のバイトとは
テレフォンサービスのお仕事でした。
遊園地情報の内容でした。
原稿自体は、3分くらいで
それが1、2本。
月に数回ありました。
テレフォンサービス収録のアルバイトは楽しくて楽しくてもっとしたい!と感じてました。
◾️ナレータースクール◾️
社会人になっても
副業でアナウンスをしたいと
いうビジョンがあり、
ナレータースクールに週末に通っていました。
そこは上手い人もたくさんいて、
当たり前ですが、かなり細かいイントネーションや
抑揚、発声、口の開き方などを直されたりするのですが
まぁ〜厳しい世界で、自分の中でも
どれが🆗ラインで
どれが、ダメなのかを
なかなか掴むのに時間がかかりました。
◾️泣きすぎて帰宅できず◾️
何回トライしてもなかなか上手くならず
ダメ出しを受けてかなり落ち込みまくる日々。
レッスンの帰りに落ち込みまくり、
涙が止まらなくてそのまま電車に乗るわけにも行かず駅近くのお手洗いに閉じこもり
一時間以上閉じこもり泣いて過ごしていた事もありました。
◾️イメージ◾️
私の中で現場のイメージはこんな感じでした。
強面の監督さんにゲキを飛ばされて
『はい!マリナ頑張ります!』みたいな、、、
◾️現実◾️
しかし、時は流れていました。
時は流れていたのに、イメージは変わっていなかったりしました。長い年月を経てようやく
私は現場でお仕事するに至っていました。
実際の仕事の現場では
音声チェックの人も編集者さんも
私よりかなり若くて、かつにこやかで
腰の低い人でした。
何かわからない事があると、当然の様に
私に聞いてきたりしました。
そうかぁーもう頼りにされる立場なのね!
なら、引っ張っていこうじゃないの!
最高の作品を作るよー!
そんな気持ちで誕生したのがこちらです。
私は付属CDの日本語パートを担当しています。
いよいよ、発売!の運びの時は嬉しくて嬉しくて、ずっとこれを聞きながら寝ていました。
昨今の韓国🇰🇷語ブームで
学びたい!!という方
良かったらどうぞ
書店で予約できますよ。
長い時間がかかっても、
時には辛すぎる道のりを歩みつつ
諦めさえしなければ
夢は様々に変容しつつも
ちゃんと叶っていくのですね。
今日も読んで下さり本当に
ありがとうございます😊
皆さん良い一日を✨🌟✨